「あいつゲイだって」その情報、伝えても大丈夫?アウティングの問題点と、命を守る方法。

「あいつゲイだって」その情報、伝えても大丈夫?アウティングの問題点と、命を守る方法。

松岡宗嗣さん

「あいつゲイだって」

ドキっとするこの言葉。

人によってはこんな「噂」を言い放ったことがある、あるいは聞いたことがあるかもしれない。

しかしそれは、セクシュアリティをカミングアウトしていない性的マイノリティ当事者にとって、緊張感や、辛い思い出を思い起こさせる言葉にもなり得る。

本人の同意なく、その人の性のあり方を暴露することを「アウティング」という。場合によっては当事者の命を失いかねない危険な行為だ。

この問題について書かれている本『あいつゲイだって-アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)が11月29に発売される。日本のLGBTQをめぐる社会問題や政策について執筆を続けている松岡宗嗣さんによる、初の単著だ

「アウティング被害は命の問題に関わる」と話す松岡さん。被害を防ぐため、そして起きてしまった時には何ができるのか。それらを考える入り口には、本著のきっかけともなった「ある事件」があった。

きっかけとなった事件

『あいつゲイだって-アウティングはなぜ問題なのか?』

2015年、一橋大学大学院のロースクールに通う「A」は恋愛感情を抱いた同級生で同性の「Z」に告白した。思いが実ることはなかったが、AとZは友達でいることを約束した。

しかしZはその数ヶ月後、同級生たちとのLINEグループに「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」とメッセージを送信。AはZ以外にカミングアウトしておらず、同意のないまま暴露をしたアウティングだった。

ショックを受けたAはその後、同級生たちと顔を合わせるとパニック発作が起こるようになる。心療内科を受診し、大学の教授や大学のハラスメント相談室にも被害を申告していたが、その後、校舎から転落死した。25歳だった。

このことが報じられたのは、Aの遺族がZと大学を提訴した翌年2016年。「一橋大学アウティング事件」として知られるようになり、全国から注目が集まった

松岡さんは報道を知った当時、自身のアウティングされた時の経験と重なり、血の気が引いていった感覚を覚えている。

「自分の場合は、ゲイであることをカミングアウトしたあと、まず母親が父親にアウティングしてしまいました。それによって説明が省けて、むしろ楽に感じられたことも事実ですが、もし父親が受け入れられなかったら、関係が破綻してしまって、地元に戻れなくなっていたかもしれない。そこには明らかな『運命の分かれ道』がありました」

彼は私だったかもしれない

アウティングという問題の背景には、異性愛・シスジェンダー(生まれた時に割り当てられた性別に違和感がない、性自認と一致していること)であることが「ふつう」とされ、それに当てはまらない性的マイノリティに対する差別・偏見が根強い社会の構造がある。

そうした環境で暮らす当事者は、自分の性のあり方の「情報」や、それを共有することによって起こり得る「リスク」を常に管理しなければならない。伝える相手の認識によっては、不利益を被ってしまうかもしれない。

それを自らの意思で明らかにすることが「カミングアウト」だが、本人の同意なき他者による「アウティング」で居場所を失った体験が本では紹介されている。

あるトランスジェンダー女性は勤務先の病院で「男性だったこと」をカミングアウトすることを求められた。それを拒むと、上長は十数人の同僚に勝手に暴露してしまった。その結果、同僚からハラスメントを受け、精神的に追い詰められた末に自殺未遂をしてしまった。

また、ある高校生は同性と付き合っていて、友達がそのことを教員に暴露。教員から「同性愛が他の生徒にうつる」などと言われ、別室で授業を受けさせられるようになっただけでなく、親戚にもアウティングされ、生徒は家に帰れない日々が続いた。

このような問題は稀ではない。宝塚大学の日高庸晴教授が実施した、性的マイノリティ当事者約1万人を対象にした意識調査では、約25%がアウティングを経験していることが分かった。しかし、アウティングは本人が把握していないところで起こることも多く、被害を受けている当事者はもっといることもありうる。

彼は私だったかもしれないーー。一橋大学アウティング事件が公になった当時、そう語る当事者は少なくなかった。

「アウティングされたことのある当事者にとって、一橋大学の事件はとてもリアルに感じたのではないかと思います。もちろん、アウティングされても大きな問題につながらなかったり、嘲笑されてもなんとかその場をやり過ごせたという人もいる。一方で、振り返ってみると自分の過去のアウティング被害と事件が紙一重だったのではないかと、死を身近に感じる部分があったのではないでしょうか」

「善意」がアウティングを起こしてしまう時

当事者を傷つけることを目的とした「悪意」のあるアウティングもある一方で、「良かれ」と思って共有した情報が結果としてアウティングになってしまうことも少なくなくない。

本では松岡さんが取材した、こんな実例が紹介されている。

地方出身のあるレズビアン当事者の女性は、社会人になってから高校時代の先輩にカミングアウトをした。好意的に受け止めてもらったが、女性が飲食店での仕事を紹介してもらった際、先輩は店長に女性が同性愛者であることを暴露してしまった。「後輩をよくしてくれ」という善意が込められていたのだろう。

店長はその後、店の客にまでアウティングしてしまい、女性は客から差別的な言動を受けるだけでなく、氏名とセクシュアリティを口コミサイトで書かれるという事態にまで発展。女性は地元を離れざるを得なくなった。

「善意」があっても引き起こされるアウティング。松岡さんは、そうした状況下でアウティングをした側には「これは大した情報ではない」という認識があるのではないかと指摘する。

「良かれと思って他の人にも伝えてしまうという裏には、『その情報を伝えても何のデメリットも起こらないだろう』という考えがあるでしょう。しかし、暴露された情報が差別的な認識を持っている人に伝わってしまうと、場合によっては、当事者は大きな被害を受けてしまう可能性があります。それを勝手に判断するのではなく、カミングアウトをしている範囲を本人と確認することが大事だと思います」

カミングアウト「された」側は

もしもアウティングが起きてしまったら。こうした時の対応も本で触れられている。

松岡さんは「本人への誠実な謝罪と、情報を共有してしまった範囲を整理して正確に伝える。その上で、それ以上アウティングが起きないように対応をすることが大切」とアドバイスする。

ここで注意が必要なのが、「アウティングを咎められるのであれば、そもそもカミングアウトしてほしくない」という考えだ。

松岡さんはこうした声に、まず「カミングアウト」という言葉が必要とされる社会的背景を知って欲しいという。

「なぜ当事者は性のあり方を秘密にしないといけないのか。そして、その情報を自分で管理し、リスクをコントロールしなくてはならないのか。そうした社会の現状をまず知る必要があると思います」

「当事者にその情報のコントロールを押し付けるのではなく、マイノリティを『いないこと』として扱い続けているマジョリティ側の責任も考えなくてはならない。『共有しないでほしい』という考えにはそういった問題点を感じます」

とはいえ、打ち明けられた方にも、その情報をどこまで共有して良いか、今後どう接すればいいか、悩むことがあるかもしれない。

「カミングアウトされた側も、不安や悩みをひとりで抱え込む必要はない」と松岡さん。「アウティングの重大性を認識した上で、個人情報に注意しながら第三者に相談してほしい」と書いている。

アウティングの現場に居合わせた第三者、つまり「バイスタンダー」になった場合も、「その情報は伝えて大丈夫ですか?」と聞くことができるという松岡さん。その一言で、それ以上のアウティングを防ぐことができるかもしれない。

一橋大学アウティング事件のZや、LINEグループに入っていた同級生たちもこうした知識を持ち合わせていたら、何かが変わっていただろうか。

国や自治体を動かした事件

松岡宗嗣さん

一橋大学アウティング事件はその後どうなったのか。遺族側が賠償を求めた訴訟で、2018年に遺族とZは和解。大学との裁判では、一審判決で遺族側の訴えが棄却された。

しかし2020年11月、二審判決である変化があった。遺族側の請求は再び棄却されたものの、裁判所が「アウティングは許されない行為」との判断を示したのだ

「アウティングは、同性愛者であることを意に反して暴露する、人格権・プライバシー権等を著しく侵害するもので、許されない行為であることは明らか」
(2020年2021年11月25日「一橋大学アウティング事件」高裁判決より)

アウティングの違法性を認めた、歴史的な瞬間だった。

この事件以来、アウティングを規制する自治体や国の制度が広まりつつある。2018年に一橋大学のある東京・国立市で「アウティング禁止」を明記した条例が全国で初めて制定され、2020年に施行された「パワハラ防止法」では職場でのアウティングはパワハラだと規定され、防止対策を講じることが義務付けられてている。

松岡さんは、こうした動きはアウティングの問題の認知を広げるために必要だと話す。その上で強調するのは、アウティングを規制する制度は「最終目標」ではなく「過渡的」であるべきだ、ということだ。

「根本的に解決するべき問題は、社会にある差別や偏見です。多様な性のあり方に関する認識が広がってきた今の時代だからこそ、理想的な『ゴール』を掲げる機会も増えてきました。その中では、時折『アウティングという言葉が要らない社会を目指したい』という語りも聞きます。間違いではないのですが、なぜそもそもそういう言葉が必要だったのか、という歴史背景、差別・偏見の実態、被害の深刻さを理解することも重要だと思います」

「『男らしさ』や『女らしさ』、シスジェンダーや異性愛を「規範的」とする考え方は、社会のあらゆるところに根付いています。性的マイノリティも生きやすい社会にすることは、残念ながら容易ではありません」

「『アウティングは絶対にしてはならない』という認識を広げることは重要ですが、そこで止めるのではなく、そもそも差別や偏見のない社会を目指すという視点と、いま実際起きているアウティング被害を具体的にどう対処していくかという両点の視点をもつ必要があると思います」

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